あるハンターの手記
過去の記事で2011年2月~2012年9月まではソラトロボ関連の記事が多いです。最近は私事の記事が多いです。コメントはお気軽にどうぞ!
日付をまたいだ…(^q^)あぎゃー
今日のフコーカ晴れ!朝や夜になると涼しくなりますね。蝉の大合唱に代わって、夜には虫の音が聴こえてきます。
ところで昨日はブルームーンだったそう。何年かに1回らしくて、見ると幸せになれるんだそう。私は昨日の夜中に見ました~きれいな満月でした(*´`*)
今回の5強は結構強かったみたいで、フィリピン沖は津波注意報まで出されていたようですが…最近は太平洋プレートの縁に沿って地震が多いですね…。
そして今からおおかみこどもの感想投下!花が手作りした雪の青いワンピースの裾の柄って雪結晶をモチーフにしてたんだね今更気がついたよ…(冷汗)
おおかみおとこ、父親がいなくなった日も雨がいなくなった日も同じように大雨のシーンだったのは、やっぱり雨も父親と同じようにな存在っていう暗示。
おおかみおとこの遺体が動物の死体として保健所にゴミとして回収されてる場面がホント泣きたくなった…。花の愛するヒトなのにあんな扱いだなんて…。
動物って動き回って餌を食べて生きている間は動物なのに、死んでしまった途端にただのたんぱく質の塊、物、ゴミとして見られるのは何故だろうか…。
生きている間だって死んだ後だって、その身体は同じ成分で構成されているのには変わりないのに「死」を境にこんなに様変わりするのはなぜか。
その境は一体何なのか…そのことをこれから死ぬまで追い続けたいと私の恩師がおっしゃっていた言葉が思い出されてしまった。
それはもしかすると人間にはわからないものかもしれない。恩師でさえもわからないかもしれない。やっぱり人間の言葉では説明できない理かもしれない。
生きている人間だって客観的に見れば動いているたんぱく質の塊のはずなのにそうはみえない、それなのに動かなくなった途端にただの物体となってしまう…。
「死」という境目で分けられる、動物、生き物と死体、タンパク質の塊の差って一体何んなんだろうね。映画を観てからそう考えさせられた。
それと劇中の花とおおかみおとこのベッドシーンはなんだかいいなって思った。愛の表現の1つってやっぱりあんな感じなのかなーって。
それにしてもあのシーンで私の隣に座っていた小学2、3年生の男の子がポップコーンをバリバリ食べながら観ていたことが気になっていた…(冷汗)
あのシーンはテレビ版ではカットされるって言われてたけど、確かにそう思うな(A^_^;)全然嫌らしくないある意味いいシーンなんだけどなー…(汗)
映画の最後に中学校の入学式の時の雪と花の写真で、雪と花の間に雨がいる山の峰が映っていたのは3人での写真っていう暗示やろうね。うまい。
ふと思ったんだけど、レッドさんの生き方とネロとブランクの生き方ってヒトの生き方の問題を含んだ2項対立なんじゃないかと思う。
レッドの生き方ってバイオンには捨てられた代わりに自由を手に入れて、毎日の生活は大変だけど自分の意思で生きている生き方と、バイオンによって生み出された時から生きる目的、役割を与えられ、いわゆるレールがひかれた生き方をしてきたネロとブランクっていう2項対立。
膨大な生き方を選ぶことができるようになったことでかえって現代人にとって悩ましいものになってしまった生き方…。
恐らくこの2項対立は、自由だけど自力で生きていかないといけない生き方と自由は制限されるけどレールが敷かれた生き方とどっちを選びますかっていうゲームユーザーに対する一種の問いかけだろうな…。どっちのほうが生きがいがあるか、楽か、自由への価値観…とかね。
…って語ってたらもうこんな時間Σ(^q^)
それでは皆さん、おやすみなさいです!(汗)
ところで昨日はブルームーンだったそう。何年かに1回らしくて、見ると幸せになれるんだそう。私は昨日の夜中に見ました~きれいな満月でした(*´`*)
今回の5強は結構強かったみたいで、フィリピン沖は津波注意報まで出されていたようですが…最近は太平洋プレートの縁に沿って地震が多いですね…。
そして今からおおかみこどもの感想投下!花が手作りした雪の青いワンピースの裾の柄って雪結晶をモチーフにしてたんだね今更気がついたよ…(冷汗)
おおかみおとこ、父親がいなくなった日も雨がいなくなった日も同じように大雨のシーンだったのは、やっぱり雨も父親と同じようにな存在っていう暗示。
おおかみおとこの遺体が動物の死体として保健所にゴミとして回収されてる場面がホント泣きたくなった…。花の愛するヒトなのにあんな扱いだなんて…。
動物って動き回って餌を食べて生きている間は動物なのに、死んでしまった途端にただのたんぱく質の塊、物、ゴミとして見られるのは何故だろうか…。
生きている間だって死んだ後だって、その身体は同じ成分で構成されているのには変わりないのに「死」を境にこんなに様変わりするのはなぜか。
その境は一体何なのか…そのことをこれから死ぬまで追い続けたいと私の恩師がおっしゃっていた言葉が思い出されてしまった。
それはもしかすると人間にはわからないものかもしれない。恩師でさえもわからないかもしれない。やっぱり人間の言葉では説明できない理かもしれない。
生きている人間だって客観的に見れば動いているたんぱく質の塊のはずなのにそうはみえない、それなのに動かなくなった途端にただの物体となってしまう…。
「死」という境目で分けられる、動物、生き物と死体、タンパク質の塊の差って一体何んなんだろうね。映画を観てからそう考えさせられた。
それと劇中の花とおおかみおとこのベッドシーンはなんだかいいなって思った。愛の表現の1つってやっぱりあんな感じなのかなーって。
それにしてもあのシーンで私の隣に座っていた小学2、3年生の男の子がポップコーンをバリバリ食べながら観ていたことが気になっていた…(冷汗)
あのシーンはテレビ版ではカットされるって言われてたけど、確かにそう思うな(A^_^;)全然嫌らしくないある意味いいシーンなんだけどなー…(汗)
映画の最後に中学校の入学式の時の雪と花の写真で、雪と花の間に雨がいる山の峰が映っていたのは3人での写真っていう暗示やろうね。うまい。
ふと思ったんだけど、レッドさんの生き方とネロとブランクの生き方ってヒトの生き方の問題を含んだ2項対立なんじゃないかと思う。
レッドの生き方ってバイオンには捨てられた代わりに自由を手に入れて、毎日の生活は大変だけど自分の意思で生きている生き方と、バイオンによって生み出された時から生きる目的、役割を与えられ、いわゆるレールがひかれた生き方をしてきたネロとブランクっていう2項対立。
膨大な生き方を選ぶことができるようになったことでかえって現代人にとって悩ましいものになってしまった生き方…。
恐らくこの2項対立は、自由だけど自力で生きていかないといけない生き方と自由は制限されるけどレールが敷かれた生き方とどっちを選びますかっていうゲームユーザーに対する一種の問いかけだろうな…。どっちのほうが生きがいがあるか、楽か、自由への価値観…とかね。
…って語ってたらもうこんな時間Σ(^q^)
それでは皆さん、おやすみなさいです!(汗)
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HN:
鬼城水娘(きじょうみなこ)
性別:
非公開
趣味:
妄想、絵描き
自己紹介:
ソラトロボを他人がプレイをしているのを見ていてはまってしまった人。
実は、自分では未プレイ。
トランスアップしたレッドが大好き。
気軽にコメントもどうぞ。
時々MOTHER2、3についても話題にします。
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