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3.11.

今日で東日本大震災から2年が経ちました。この震災によって亡くなってしまったすべての方々に対してお悔やみ申し上げます。
そして、現在も"復興地"で暮らしているすべての方々の上に祝福がありますように。これからが良き方向へと向かいますように。

孫引きで申し訳ありませんが、あうしゅびっつ収容所の生活を記した『夜と霧』の中で精神医学者フランクルは、あうしゅびっつ収容所から生還した者は、"希望"を持ち続けていた。
そして、自分はこの体験を語るために生かされているのではないかとこの"喪失"に人生の意味づけをしていたそうです。
また、「取り返しがつかないほどの喪失など何もない。(中略)すべては取り消しできないように保管されている」と人生は無条件に価値と意味を持っているともフランクルは示唆しているそうです。また、犯罪によってトラウマを持ってしまった女性の言葉を引用すると、
わたしは決心したのです。「もうたくさん。まるで、わたしがまちがっているとでもいいたげな目を向ける人なら誰でも、残忍な仕打ちをしてやるだなんて風にうろうろ歩き回っているのにうんざりしている。もうこれ以上そんな気持ちを抱く必要はない(後略)」。わたしは考えました。「わたしはどのような気持ちでいたいのだろうか?」。わたしはわたる世間の片隅で、安心した気持ちでいたかった。わたしは力強いという気持ちをもちたかった。だから、わたしは、自分の人生のなかでうまくいっていることと、現実の生活場面で自分がどんな風に力をつけているかということに、気持ちを集中させたのです。

(以上すべて『喪失体験とトラウマ』J.H.ハーヴェイ著より引用)

大切なものを奪った震災、天災に留まらず人災でもあった今回の震災を憎み、恨むことは当然のことだと思います。
しかし、憎むことや恨むことは、その対象に自らの時間を、人生を支配されているとも言われます。
再び上記の本から引用すると、「われわれはよく、遺族に対して「あなたには時間が必要なだけだ」ということがある。しかし、論理的には、重大な喪失を体験した後の時間に何をするかが最も重要であると信じるのはもっともである。時間そのものは、癒やしにはならない。」(以上が引用)

やはり私は何と言っていいかわからないので引用にとどめておきます。それでは皆さん、おやすみなさい。皆さんの"喪失"にはきっと意味があるんです。

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